虚血性大腸炎*三度目の入院
2014.12.15 Monday 00:49
2014年12月3日
二度あることは三度あるってまさにこのことです。
一回目8年前のH18年、二回目今年3月、そしてそれから一年も経たないこの12月3日。
今回ばかりは死ぬかと思いました〜〜
今回も3月と同じように普通の夕食をとり、友人と世間話を電話で話し終わった直後に発症。
トイレに駆け込むや大量の嘔吐。おえおえ出るわ出るわ〜
それに激しい腹痛を伴った下痢症状があるにもかかわらず下さず腹痛は増す一方。
イタイイタイの言葉しか発せられず室内をもがき苦しみ七転八倒。
夫がすぐに救急車を呼んで宗像医師会病院へ。
着いてから大量の排便があってからやっと呼吸が出来るようになったものの腹痛はいつまでも続くので
肩に痛み止めのブロック注射。
それでも下血と腹痛は続き、やっと収まったのは3日目。そして医者看護師などの顔がはっきり認識できるようになったのも。
病名は前回と同じく「虚血性大腸炎」と診断され、点滴、絶食療法のみ。
悪性ではないだろうとの医師の判断でした。
しかし今回の痛さは並ではなかったし、今後のためにも担当医に「内視鏡検査」を依頼しました。
内視鏡当日の段取り
1、朝7時 吐き気止めドンベリドンを服用(錠剤)
2、腸管洗浄剤(マグコロール)1800ccを2時間かけて飲む
これ、結構大変でした。半分くらいまでは余裕でしたが後半になるとトイレに持ち込んで必死で流し込み
ました。下痢で間に合わなくなるのです。
3、数時間以内に「黄色水様便」がでること
つまり大便が小便と同じくらいの色、状態になること
2時間後頃にそのようになりました(レモン色)
これらの儀式が終わったらいよいよ内視鏡検査室へ〜
「これから内視鏡が入ります。リラックスしてください。そうすればすぐに終わりますから」
はい、リラックスね・・・言われたとおりに・・
ところがひーー!!痛い〜〜〜
20分の長いことったら。。。しかし人間って痛さが続いたら「死ねーー!」とか捨て身になったら・・やっと終わりました。人間そう簡単には死にませんから。
点滴日数6日間。
血管は加齢で細るそうですが私の血管はまた特別に糸のように細く表面に浮き上がってこないそうで何人もの看護師さんをかなりてこずらせました。
両腕、手のひら、脚何度も刺し換えて何箇所も青あざだらけ。
7日目からやっと3部粥〜7部粥まで3日間の計10日で退院できました。
さて、退院できて安心はしたものの、この病気に関して今回は心配と不安が残りました。
*この病気の原因が分らないということ。
*原因が分らないから治癒法がないということ。
*治療は単純に断食点滴療法しかないということ。
*薬が全く処方されないということ。
*予防することも出来ず、またいつ発症するかわからないということ。
*間隔が近くなり癖になったこと
結構たちの悪い病気です。まるで突然襲撃のギャングみたい。
(そういえば夏の悪夢、猪襲撃を思い出しました。これも山のギャングです)
内視鏡検査の結果ですが、腸壁のただれ具合がこれまでで一番ひどく広範囲でした。
その傷口に内視鏡の先端が大腸2メートルに渡って這ったわけですから痛いはずです。
幸い小さなポリープの生検は良性でした。
70歳までにもう少しありますが、この先またこの病気に出くわしたら老いていく体であの痛みに耐えられるだろうか?治療方法がないことが本当に不安です。
これからせめてできる事は「ストレスをためないこと」「便秘をしないこと」だそうですが、本当にそれで再発しないの?
もう一つの不安。
この病気で死ぬことがあるのかと質問したところ、発症してすぐに搬送されたらまず死ぬことはないが、傍に誰もいなくて下血が続いた場合は出血多量で死に至るとのことでした。
***余談***
個室を希望していましたが空いてなくて最初は5人部屋でした。
個室にもいろいろお寿司のようにランクがあり、私は単純にトイレのついた個室であればいいので
松竹梅の梅をお願いしていました。
四日目に梅の個室に移動しまして夫も安心して寛げるようになりました。
ところがその三日後に病院の都合で移動願いが出て、代替として「特別室」が用意されていました。
お寿司でいえば特上ですが、梅と同じ料金でいいということで。
あぁ〜〜病院も格差社会ですね〜
クローゼット、応接セット、バス/トイレ、キッチン、ポット、電子レンジ、書机、電話付き
景観のいい窓には重厚な房飾りのあるカーテン。ベッドは自動リクライニング・・・
あの激痛がいっぺんに吹っ飛ぶくらいラッキーなチャンスに感謝(涙)まさに地獄から天国、この落差!
点滴も外されて退院までの4日間は単純に食事調整だけですからもったいないくらいの安楽な時間でした。
ポータブルDVDを持ち込んで映画鑑賞。
懐かしいマルチェロ・マストロヤンニ「白夜」「恋愛時代」、イングリット・バーグマン「別離」「ガス燈」
中国「小さなお針子」、韓国クォンサンウ「マルチュク青春通り」
それにしても私の人生、メリハリありすぎ。これもかなりストレスかも???
ちなみに10日間の入院費用は前回と同じように高額医療制度を使い、支払った金額は115000円でした。
************************
さて、またまたママとルナちゃんとの涙の再会がありましたよ〜
ルナ〜ママよ〜
出入りいつも裏口からなんです。。
だっこ!飛び込んできました!
ルナは毎晩夜鳴きをしたそうです。私の懐が恋しかったのでしょう。
いい子だったね。今日から大丈夫だからね。
二度あることは三度あるってまさにこのことです。
一回目8年前のH18年、二回目今年3月、そしてそれから一年も経たないこの12月3日。
今回ばかりは死ぬかと思いました〜〜
今回も3月と同じように普通の夕食をとり、友人と世間話を電話で話し終わった直後に発症。
トイレに駆け込むや大量の嘔吐。おえおえ出るわ出るわ〜
それに激しい腹痛を伴った下痢症状があるにもかかわらず下さず腹痛は増す一方。
イタイイタイの言葉しか発せられず室内をもがき苦しみ七転八倒。
夫がすぐに救急車を呼んで宗像医師会病院へ。
着いてから大量の排便があってからやっと呼吸が出来るようになったものの腹痛はいつまでも続くので
肩に痛み止めのブロック注射。
それでも下血と腹痛は続き、やっと収まったのは3日目。そして医者看護師などの顔がはっきり認識できるようになったのも。
病名は前回と同じく「虚血性大腸炎」と診断され、点滴、絶食療法のみ。
悪性ではないだろうとの医師の判断でした。
しかし今回の痛さは並ではなかったし、今後のためにも担当医に「内視鏡検査」を依頼しました。
内視鏡当日の段取り
1、朝7時 吐き気止めドンベリドンを服用(錠剤)
2、腸管洗浄剤(マグコロール)1800ccを2時間かけて飲む
これ、結構大変でした。半分くらいまでは余裕でしたが後半になるとトイレに持ち込んで必死で流し込み
ました。下痢で間に合わなくなるのです。
3、数時間以内に「黄色水様便」がでること
つまり大便が小便と同じくらいの色、状態になること
2時間後頃にそのようになりました(レモン色)
これらの儀式が終わったらいよいよ内視鏡検査室へ〜
「これから内視鏡が入ります。リラックスしてください。そうすればすぐに終わりますから」
はい、リラックスね・・・言われたとおりに・・
ところがひーー!!痛い〜〜〜
20分の長いことったら。。。しかし人間って痛さが続いたら「死ねーー!」とか捨て身になったら・・やっと終わりました。人間そう簡単には死にませんから。
点滴日数6日間。
血管は加齢で細るそうですが私の血管はまた特別に糸のように細く表面に浮き上がってこないそうで何人もの看護師さんをかなりてこずらせました。
両腕、手のひら、脚何度も刺し換えて何箇所も青あざだらけ。
7日目からやっと3部粥〜7部粥まで3日間の計10日で退院できました。
さて、退院できて安心はしたものの、この病気に関して今回は心配と不安が残りました。
*この病気の原因が分らないということ。
*原因が分らないから治癒法がないということ。
*治療は単純に断食点滴療法しかないということ。
*薬が全く処方されないということ。
*予防することも出来ず、またいつ発症するかわからないということ。
*間隔が近くなり癖になったこと
結構たちの悪い病気です。まるで突然襲撃のギャングみたい。
(そういえば夏の悪夢、猪襲撃を思い出しました。これも山のギャングです)
内視鏡検査の結果ですが、腸壁のただれ具合がこれまでで一番ひどく広範囲でした。
その傷口に内視鏡の先端が大腸2メートルに渡って這ったわけですから痛いはずです。
幸い小さなポリープの生検は良性でした。
70歳までにもう少しありますが、この先またこの病気に出くわしたら老いていく体であの痛みに耐えられるだろうか?治療方法がないことが本当に不安です。
これからせめてできる事は「ストレスをためないこと」「便秘をしないこと」だそうですが、本当にそれで再発しないの?
もう一つの不安。
この病気で死ぬことがあるのかと質問したところ、発症してすぐに搬送されたらまず死ぬことはないが、傍に誰もいなくて下血が続いた場合は出血多量で死に至るとのことでした。
***余談***
個室を希望していましたが空いてなくて最初は5人部屋でした。
個室にもいろいろお寿司のようにランクがあり、私は単純にトイレのついた個室であればいいので
松竹梅の梅をお願いしていました。
四日目に梅の個室に移動しまして夫も安心して寛げるようになりました。
ところがその三日後に病院の都合で移動願いが出て、代替として「特別室」が用意されていました。
お寿司でいえば特上ですが、梅と同じ料金でいいということで。
あぁ〜〜病院も格差社会ですね〜
クローゼット、応接セット、バス/トイレ、キッチン、ポット、電子レンジ、書机、電話付き
景観のいい窓には重厚な房飾りのあるカーテン。ベッドは自動リクライニング・・・
あの激痛がいっぺんに吹っ飛ぶくらいラッキーなチャンスに感謝(涙)まさに地獄から天国、この落差!
点滴も外されて退院までの4日間は単純に食事調整だけですからもったいないくらいの安楽な時間でした。
ポータブルDVDを持ち込んで映画鑑賞。
懐かしいマルチェロ・マストロヤンニ「白夜」「恋愛時代」、イングリット・バーグマン「別離」「ガス燈」
中国「小さなお針子」、韓国クォンサンウ「マルチュク青春通り」
それにしても私の人生、メリハリありすぎ。これもかなりストレスかも???
ちなみに10日間の入院費用は前回と同じように高額医療制度を使い、支払った金額は115000円でした。
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さて、またまたママとルナちゃんとの涙の再会がありましたよ〜
ルナ〜ママよ〜
出入りいつも裏口からなんです。。
だっこ!飛び込んできました!
ルナは毎晩夜鳴きをしたそうです。私の懐が恋しかったのでしょう。
いい子だったね。今日から大丈夫だからね。